たったひとつの願い

大切なものは、いつも本当に少ない。
これは人生の真理であると同時に、表現においても戦略の核心だと思う。

数万人の構成員を持つ多国籍帝国企業で、多忙を極めるはずの最高経営層になぜか毎週Uberの配達員のようにプライベートオフィスへ呼び出されてはプレゼンを繰り返していた20代の頃、パワフルな先輩経営者の友人に言われたアドバイスがある。

「1番重要な、たった1枚のスライドのクオリティだけを極限まで上げろ。印象に残るのは1枚だけだ」

私がチームを作るので5年で100人 + 100億円は投資してくださいというピッチは結局うまくいかなかったのだが、このアドバイスは本当に的確だった。
実を結ばなかったのは、相手の脳裏に焼き付けたそのたった1枚の説得力が足りなかったから。

エアリアルの演技を作る時も、この時に貰ったアドバイスを反芻していた。
例えば3~5分の演技を作ったとして、その中には派手なドロップ、華麗なスピン、目を惹くパワームーブ、複雑な巻き技、柔軟性を生かしたムーブ、色んな要素が詰め込まれる。我々は欲張りなので、見せたい技はたくさんある。だが、演技が終わった時、果たして観客の心に何が残っているだろうか?

おそらく、繰り出した幾つもの技の詳細を覚えている人はいない。何かを覚えてくれていたとしたら、それは演技全体のうちの、たった10秒、あるいは5秒ほどの、たったひとつのパートが残す、残像のような儚い印象だけではないかと思う。
芸術表現を受け取る観客にとって、演技は平均点ではなく、一点の記憶なのだと私は思っている。(コンペの審査官ならば演技全体を精査するだろうが)

だとしたら、自分が何を差し置いても表現したい、たったひとつのパートのクオリティだけを極限まで上げること。これが表現における基本戦略になる。
たった10秒だけ、たった5秒だけ、誰かに覚えていてもらうとしたら、どこを切り出すか。4分の演技をしても、その一瞬だけしか印象に残らないのだとしたら。

私のこの視点を、並走していたコーチ & 副コーチはよく知っていると思う。私のたったひとつの願いは、演技後半の特定のパートのクオリティをとにかく上げることで、私はその優先度をコーチに (資料まで作って) 明示的に伝えていた。
そのパートを表現者として優先させるためには、コンペのルールブックが要求する採点項目をいくつか無視さえした。例えば要求されるドロップ技の数が足りないことなどは充分承知だったが、優先させたい表現のためにカットまでした。

私がエアリアルをするたったひとつの理由がこのたった一瞬への願いならば、国際大会での入賞なんて、実のところ目標でも何でもなかったのだ。使い古された表現だが、メダルは後から勝手についてきたのだった (金色ではなかったのでこんな言い方をしてもあまり格好はつかないが。。)

人生だって同じように、今際の際に思い返されるのは、特定のとある日の、大切なたった一瞬の残像だけなのかもしれない。
ならば、たったひとつでいい。


天才か秀才か魔法か毒
最近は訳あって、(エアリアルシルクとも関連深い) 印刷や繊維について勉強をしている。 勉強と言ってもせいぜい高校の化学か繊維・布地メーカーのカタログを読む程度のレベルなのだが、しかし印刷も繊維も奥が深い。 無機質な素材の規格や成分表の行間から浮かび上がってくるのは、いかに人間が野生の物質を、科学の力で手懐けようとしてきたかという歴史だ。 摩擦、熱、張力、歪み、酸化、破断、褪色、吸湿、静電気、全てをコントロールできたと思っても…
0から国際大会入賞までの様子
エアリアルシルクを始めてから国際大会入賞までの1年間 (13ヶ月) の経緯やスケジュールなど、どなたかのエアリアル修得や指導の参考になればというストレートな備忘録です。 あくまで一例です。お目汚し失礼。