スピンの研究

スピンはしばしば、自由や解放感の表現として使われる。
確かに回転している身体には、観ている者すら酔わせるところがある。だが実際その内には、かなり醒めた設計が埋め込まれている。
エアリアルシルクのスピンは、ただ回ることではなく、①どうやって回転を起こし、②どうやって速度を上げ、③回っている最中に何を見せるか。この3つの組み立て全体が、多彩なスピンを作っている。

まず全てのスピンに必須な準備要素として、回転モーション自体をつける動きがある。
代表的には ①身体の回転と逆方向にシルクを大きく振る、②地上で回転モーションをかけてからシルクに登る、の2つになる。他に空中でシルクを振り回すことなく回転モーションを作り出すテクニックも無い訳ではないが、何にせよ、回転は突然自然に発生するのではなく、何かのきっかけによって作られる。

①シルクを振る、②地上で回転をかけてから登る

2つ目の要素は、身体を絞ってスピン速度を上げること。身体を縦にまとめる、軸を通す、大きく開いた身体をキュッと抱え込んで慣性モーメントを小さくする、遠くに伸ばした脚を軸の近くに折りたたむ。こうしてスピンは急激に速くなる。
姿勢が整うこと自体に美しさもあり、回転に合わせてたなびくシルクに表情を出すこともできれば、エアリアルシルクならではの、美しさと自然物理が一致した表現ができる。(例えば私はDNA - 二重螺旋スピンで2本のシルクが遠心力でふわっと横に膨らむのが好きだ)

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DNA Spin

そして最後の3つ目が、スピン中に別の技も一緒に行うこと。柔軟ポーズ、パワームーブ、ドロップ。これらスピン以外の技を、スピン中に行う。
スピンは独立した技ではなく、別の技の背景になりえるということだ。
360度あらゆる方向を観客に見せるスピンに正面という概念は無く、静止したまま成立する技も、スピンの中ではまったく別の難しさと見え方を持つ。コントロールが難しくなるので難度は上がるが、スピンの最中にロールアップをすることもできるし、スピンをしながらドロップすることもできる。

細かなニュアンスは無限だが、この3つがエアリアルシルクのスピンをデザインする際の基本的な構成要素。
演技構成の中にうまくスピンを配置しようとする時も、自分だけの新技スピンを考案する時も、この3つの要素に分解して考えることで指針が立てやすくなる。

この3要素 (①回転をかける、②スピン速度を上げる、③スピン中に別の技をやる) の順序関係は、以下のようになる。

How Aerial Silks Spin Works

最もシンプルなスピン技は、① → ②、あるいは① → ③のどちらかになり、これを一定の速度以上でやるとスピン技になる。
例えば、それなりに速いスピンをかけながらロールアップをしたり派手な縦スプリットをしたりというのは① → ③の例になる。(① → ②は例示せずともわかると思う)

ここで、②と③を両方一緒に行うと (つまり、回転を作りながら、その流れの中で身体を絞って加速し、さらにその最中に別の技を成立させると)、見た目も派手になるし難度も高くなる。観客が見ている情報量も、エアリアリストのあなたが処理する条件も増えるからだ。
例えば回転をかけてから (①) スピン中に別のドロップをしつつ (③)、そのままスムーズに高速なすぐりに繋げる (②) など、こちらも無数に例はある。
②と③の順番はどちらでも良いし、行ったり来たりすることもできる。

何を使って回転を生み出しているのか。身体をまとめてどこまで速度を上げているのか。回転中に何をやっているのか。その3つがどう重なっているのか。
スピンの本当の難しさは速度より、重なっている条件の方にある。そして見た目の華やかさも、複数の要求が同時に走っていることの自然な表出になる。

私は、身体だけでなく布の重さ、遅れ、振れ、ねじれまでもが回転の一部になり、数十秒にもなる複雑なシーケンスの中で複数の別の技まで成立させることができるエアリアルシルクのスピンは、体操競技やフィギュアスケートのスピンと比べても、それ以上に奥が深いと思っている。

では、そんなスピンを、そもそも構成と演出の中でどうデザインするか。無限のデザイン空間から、どんなスピンパートを自分ために (あるいは自分が振り付けを担当する選手やアーティストのために) 作るのか。
これはかなり別の視点から考えることになるので、単に身体の操作の問題としてスピンについてまとめた今回の記事とは別でまた書こうと思う。


プロになるつもりで取り組む他ない
ノーベル物理学賞も受賞した我らがリチャード・ファインマン先生は、カルテックで学部生の講義に臨む際、「この教室にいる学生のほとんどがプロの物理学者にならないことは承知しているが、それでも最も能力のある学生 (将来のプロ物理学者) を基準にして教える」というスタンスを明示していた。つまり、クラスに1人か2人いる将来の物理学者になるような極めて鋭い学生に向けて全力投球するというスタイルを取っていて、それをおおっぴろげに話していた。