こんな近くに、あんなに遠く

エアリアルの大会というと、結果よりも参加すること自体に意義を見出す考え方もあるし、本番に向けた練習など、参戦を通じた成長そのものを価値と捉えることもできる。私もほぼ完全にその立場の人間だし、そもそも大会のためにエアリアルシルクをしていた訳でもない。

だが現実、エアリアルと同様に芸術性が高い (そして私が幾分馴染みのある) ピアノのコンクールのことを考えると、競技大会の場は個人の成長物語など無関係な、極めて商業的なプロ候補発掘の場でもある。無名の演奏家にとってコンクールで優勝することは、単に名誉を得るということよりも、その後の仕事のチャンスを変えうるもっと実利的な利益を意味し、数票の違い、数点の違いが順位の違いになり、その選手のキャリアと出会いと人生を変えていく。

もちろん中には、ほんの少しの差で届かなかった、という人もいる。(一応断っておくが、別に私のことではない)
遠く及ばなかったのなら諦めもつくが、現実には、その才能が認められるまで、本当にあと少し。しかもそのほんの少しはしばしば才能や努力不足によるものですらなく、ちょっとした怪我や体調不良はもちろん、運、時代、審査員の好み、流派、果てはパフォーマンス自体とは全く無関係の家族の不幸や私生活上のやらかしといったものによってまで生み出される。どれだけ才能があっても最後の扉だけが開かない人生もあって、こんなに近い距離では、余計に全てが幻のように朧げに見えるようだ。

しかし栄光を得ていないというだけで、その人が既に達していた高さまで無かったことにはできず、そこに確かに存在していた演技の詩情、色彩の輝かしさ、コントロールの絶妙さ、息を呑むほどの美しさは、票にも点数にも書き換えられない。

そしてその逆もまた然りで、たとえどれだけ美しいエアリアルの演技で栄光を掴めても、それが人生の全ての問題まで解決してくれる訳でもない。ステージ上で一度完璧な線を描いたところで、照明が落ちれば、現実の問題をそのまま舞台袖に置き去りにして帰り道につくこともできない。
ピアノの国際コンクールが優勝者に幸せをもたらしたとは言えないケースだって多くあったように、ステージ上の華やかさと現実の生活はいつも同じ実体という訳ではなく、その距離は時に蒼茫としてあんなに遠い。

つまり人生は誰にとっても難しいもので、エアリアルの才能や実力が全てを解決してくれる訳でもないという話なのだが、それでも大丈夫だと確信を持って言い切れるケースは、そばにいてくれる誰かの存在があればなのだと思う。目の前に残り続ける人生の問題が、明日も同じ形でそこにあり続けようと、その問題を前にしているあなたのそばに、何も解決できないままでも一緒にいてくれる人がいるなら、世界は崩落しない。

もっと、ずっと大きな舞台に立てたはずのその人の才能に相応しい未来を用意することができないのは口惜しいが、その人の強さを覚えていて、本人ですら自分を信じられなくなった時に、点数や順位に回収されなかった美しさを覚えていること。

大切な人が抱える問題を、全て解決できなくて良い。その人を救いたいなら、問題自体の解決より大切なのは、ただ側にいてあげることなのだ。既に交わす言葉など、もう擦れて消えてしまっていたとしても。


手放すほど、上手くなる
私が尊敬するエアリアリストの一切の身体的雑音もない澄みやかなフローを見ていて気がついたのは、エアリアルシルクが上手い人ほど、シルクを支配しようと力を込める瞬間がほとんど見えないということだった。 つまり、手放すほどきっと、エアリアルシルクは上手くなる。
月でシルクを結ぶ日 (布と器具の強度について)
体重何キロぐらいですか?と女性に訊くのはマナーとして憚られるが、成人のエアリアリストなら女性でも大体 200kg 前後くらいの体重は一般的な範囲内だと思う。もちろん体重の測り方はこうだ。器具