手放すほど、上手くなる

私が尊敬するエアリアリストの一切の身体的雑音もない澄みやかなフローを見ていて気がついたのは、エアリアルシルクが上手い人ほど、シルクを支配しようと力を込める瞬間がほとんど見えないということだった。
つまり手放すほどきっと、エアリアルシルクは上手くなる。

これは単なる練習アドバイスという訳でもなく、エアリアルシルクというジャンルが含む法則なのではないかと私は思う。
初心者は全身をずっと力ませてシルクを掴んでいるのが見てすぐわかり、中級者は力む場面の中に適度に抜く場面が混ざっていき、上級者は半分以上の時間をシルクの流れに任せるようになる。

このシルクに任せている時間の割合のことを、手放し率とでも呼ぶことにしよう。演技全体のうち、筋力ではなく、シルクの張力、重力、慣性によって身体が自然法則の流れに乗って運ばれている時間の割合。つまり、どれだけの時間、何も力を入れていない (かのように見える) かという (感覚的な) 数字である。

初心者の手放し率はほとんど0%から始まるが、私の極めて勝手な偏見から言うと、現代のトップアーティストの手放し率は、高い人では 70~80%くらいまで達しているのではないかと思う。シルクに委ねることが寧ろ演技の中核になっていて、積極的に何かを手繰り寄せる時間より、重力や慣性といった流れに乗っている時間が明らかに長い。

なぜこの法則がシルクというジャンルに息づくのかと考えてみると、フープやポールと違って固有の形がないシルクは人間の身体と重力が交渉した結果としてそのつど形を決定し、つまり制御しようとするほどシルクは不自然に反発し、逆に任せるほど美しく動くからなのだと思う。

たとえばドロップで落ちている時間。
自分でいくらか経験するまでは識らなかったのだが、シルクのドロップは事前の巻き方さえ正しければ、あとは基本的に綺麗な姿勢をキープして落ちるだけで、ドロップ中に我々は筋力を使ったシルクのコントロールはほとんどしない。落下そのものは重力の仕事で、最後に身体を受け止める瞬間の張力はシルクの仕事。むしろ落ちている最中に余計なことをしたり身体に無駄な力が入ったりすると、かえって流れは汚れてしまう。タテヨコで最後の背面キャッチを難しいと感じるパフォーマーが多いのも、ドロップ中に余計な力みやドタバタをしてしまうからだろう。(最も多い実施上のエラーはおそらく、2回目の回転時に身体を早く逃しすぎて、結果的にシルクの張力をタイミングよく使うことができないことだ)

スピンも同じで、速く回ろうと必死に力でコントロールしようとしてもスピンは美しくならず、寧ろ必要なのは、最初に回転のきっかけを作ったら、身体と布と重力の自然な働きを感じ、力を使うのではなく力を手放すことで雑音なく軸に入り、遠心力の膨らみをじっと待つこと。

無駄なく洗練されたドロップやスピンだけでなく、布に親しみを持って身を寄せ、シルクの中で休み、自然なスイングに一緒に乗り込み、委ね、力で直接シルクを支配しようとしない時間。本当に力を使っていないか、あるいは、まるで一切の力を使っていないように見える時間。そうした瞬間が増えるほど手放し率は高く、演技は洗練されて見える。

手放し率が成熟に合わせて増していくこの傾向は個人の上達についてだけではなく、エアリアルシルクという芸術ジャンル全体が歩んでいる道なのかもしれない。

パワームーブが王道花形と言っても差し支えない体操競技の吊り輪に、そこに明確な系譜を持つストラップ。そのストラップも時代と共に単なる力技からより柔らかい芸術に発展していき、その後1990年代に舞台化したエアリアルシルク。その未だ (比較的) 若いエアリアルシルクの歴史の中ですら手放し率が増加している傾向を見てしまうのは、フローという概念の定着とも無関係ではないだろう。
LAの有名スタジオがフローを重視しているという話は以前にもしたが、私が耳にしたところによると、このように技と技の間の移行そのものを芸術として評価する価値観も2000年代中頃以降の流れらしい。

近年は電動リギングの発展でシルクそのものが空中で自ら動くようにもなったことで、シルクが自分をどこに連れて行くかを感じながら動く舞台も増えたことだろうし、このジャンル全体も個人の熟達と同じく、手放し率が高い方へ向かっているのかもしれない。

そんなエアリアルシルクについて私なりの願望めいた未来予測を披露するならば、今後は競技的なシルクの教育の現場でも、技を教えてコントロールの精度を上げることより、シルクを乗りこなす感覚、布が何をしようとしているのかを聞く耳を教え、重力と友達になる感覚を丁寧に育てるカリキュラムが広まっていくのではないかと思う。

競技大会は毎年増えている傾向にあると思うが、採点基準の中にもフローの美しさ、自然さなど、手放し率が評価されるものが追加されていくのではないか。
そしてシルクの舞台作品も、力でどう支配するかを見せるよりも、布と共に流れる姿を中心に据えたものになっていく気がする。

この流れも受けるなら、現在主流のナイロンのシルクよりも、私が好きな、モチモチして気持ちよく弾むポリエステル系譜のシルクが今後より流行っていくポテンシャルはあると思うのだが。。

何にせよ、言語の制約を受けず、リスクを制御する自己有能感が麻薬的な中毒性を呈するエアリアルは、新体操などと同程度にはポピュラーなスポーツになり得る可能性を持っている。
この空中競技を通じて会えて良かったと思う人は何人もいて、皆、このジャンルのこれからの発展を信じられる最高のパフォーマンスを見せてくれた。
今以上に自由で開かれた切磋琢磨できる環境を作り、競技人口を増やすことができれば、その未来は明るいだろう。

*一応言っておくとこれは印象で書いてみただけで、私がエアリアルをしていたのはほんの1年間だけだし、私はプロエアリアリストの技術を精密に分析できる技量も持ち合わせてはいない。


消えないものから順に置く (演技構成の作り方)
自分だけのエアリアルシルの演技構成を考え、組み上げていくのは本当に楽しい。 それは技や表現のレパートリーが増えた人だけに開かれる遊びであり、自分が何を見てきて、何に傷つき、何を美しいと思ってきたのかをひとつの演技に向けて引きずり出せる棚卸しの機会でもある。