スピンの研究 2

無限のバリエーションがあるスピンシーケンス (前回記事: スピンの研究 参照) だが、舞台や演出の目的から考えると、自ずとどんなスピン技をどんな順番で、そしてどんな姿勢や軸や速度で実施するのが良いかは定まってくる。

例えば曲や舞台のテーマとして特に自由や解放感を見せたい場面なら、身体を広げた動きの大きさや、流れる風が抜けていくようなシームレスな繋ぎを優先させた捌きが必要になる。
一方で危うさや酩酊感のようなものを表現するパートなら、流暢な繋ぎよりも、軸をあえてブラしたり、身体を一直線にするのではなく曲線を描かせたり、スピンを急に失速させてまた高速にしたりといった、風を強く受けるような緩急をつけた捌きの方が相応しい。

演技構成上、例えば次の技のために手を休ませたいなら手でシルクを握らないスピン (シルクに身体を預け、両手を空中に解放してもいい) が必要になるだろうし、例えば演技全体を通して柔軟系のポーズが足りていないなら、スピンの中にそれを足すことで構成の補強もできる。

目の肥えた審査員が見ても攻めたとわかる難度が必要な競技ステージもあれば、技の難しさよりも、一般客の目を引くわかりやすい派手さの方を優先すべきショーステージもある。

あるいは、同族のエアリアリストにだけ伝わる新鮮さや意外性を狙いたい、選手仲間と行う内輪のイベントステージもある。
スピンに限ったことではないが、経験達者なエアリアリストの目からは、シルクの巻き方や準備動作を見ただけで「あー次はこんな技が来るな」と読めてしまうことも多い。だからこそ、その近未来予測をほんの少し裏切るだけで、逆に新鮮さを出すことができる。

例えばすぐり (逆さスピン) なんかは一般客相手の派手さもあるしよく実施されるのを目にしたが、皆が行う技だからこそ、同族には伝わる自分だけの独自性を出せるというのは面白い気付きだった。
誰もやらない自分だけの技や新技で独自性を出すという自然な考え方ももちろん尊いが、玄人同士の読みが成立しているからこそ定石の中に細やかな独自性を仕組む気配りは、それを観ている側も楽しいものだ。

つまり、どの技を選び、どの姿勢を取り、どこまで速度を上げ、どう見せるかは、このように最初に定めた演技上のゴールやステージの性質、使用する曲などから逆算されて自ずと決まっていく。
スピンは身体の操作の問題であると同時に、構成と演出の問題としても捉えることで、解に向かってその輪郭が明瞭に定まっていく。

良いスピンとは、自由に見えるスピンだと思う。ただしその自由は無計画な奔放さという訳ではなく、制御の密度が十分に高い時にだけ、ようやく違和感なく自由に見えてくる。
回転とは不思議なもので、見ている側には解放に見えるが、やっている側には整理の連続だったりする。軸を通し、速度を読み、崩れそうな身体をまとめ、次に見せる形を選び続ける。
その冷たい判断の集積が、ようやく煙が溶けていくようなひとつの解放になっていく。

だから私は、スピンをただの飾りとは思わない。
スピンは身体が一瞬だけ自由になったように見せるための、極めて不自由で、極めて知的な技術と感じたものだった。
とは言え、まあ要するに私は空中でクルクル回転したいだけなのだ。


最大の祝福を、私達の失敗に
私の専門はコンピュータサイエンス、特にAIの一分野の研究開発なのだが、この分野でもエアリアル同様にコンペというものがある。 最も有名な舞台はKaggleという巨大な闘技場だろう。とにかくパフォーマンスが高いコードを書いたものが優勝するというフェアさが爽快で、我こそはと自負する者、つまり優秀なエンジニア・研究者という、不遜さと実力が美味しくブレンドされた人種が、お互いを出し抜こうと世界中で日夜シノギを削っている。