エアリアルの競技コンペだって、他のスポーツや勝負事と変わらない。才能も努力も勝つ可能性を上げてはくれるが、勝利の保証まではしてくれない。最後に勝つのは最も才能がある者とも、最も努力をした者とも、単に最も強い者とも限らず、偶発的な事故や制御不能な事情などはステージの外からですらいくらでも押し寄せて来て、人類が何千年も飽きずに繰り返してきた歴史的営みと同じく、勝者と敗者は目まぐるしく入れ替わる。
その不確実性が面白いところでもあるし、そしてまた、だから勝利だけを報いと捉える考え方は投資としてリスクが高いのだ。
報い。以前エアリアルの上達に資する信条の例に挙げた「努力は必ず報われる」という思想だが、これは単純な根性論に見えて、実はほぼ反論の余地がなく論理的に正しい。
努力の報いを、入賞、勝利、他者からの評価に求める限り、その努力は報われないこともある。だが、報いは自分の成長そのものであり、比較すべきはその努力をしなかった世界線の自分と捉えるならば、努力は確実に報われることになる。今日もし何もしなかった自分と、練習に行った自分を比較するならば、たとえ微小であっても確実に前進はしている道理なのだから。
このように、努力をしなかった世界線の自分を自分専用のコントロールグループとして持っておくこと自体が、上達のために利用できる強力な信条・世界観になると思う。
この考え方に立つならば、別に毎日、劇的な進化を遂げる必要はなくなる。何もしなかった自分との差分を、ほんの少しでいいから作ればいい。
人それぞれの地獄はあって、生きているだけで殆ど何かの精神的拷問の中にいるような、身体がベッドの上から全く動いてくれない日もある。あーしんどいな眠いなめんどくさいな、そう思いながら、一秒一秒、時間が鋭い針のムシロに変化して、動けない身体と精神を下から突き上げてくる。それも、あえてとどめは刺さずに、じわじわと苦痛と焦燥感だけを長引かせるやり方で。
それでも、本当にほんの少し、毎日1%だけでいい。それがエアリアルなら、ただスタジオに行き、着替えるだけでもいい。それもできなければ、もっと小さいことだっていい。その努力は、それだけで既に報われている。何もしなかった自分を、既に出し抜けている。
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客観的な勝利を追うのを辞め、競争から降りて卑屈になってしまうのも健康的ではないので勝利も経験するに越したことはないのだが、その逆に勝利だけを報いと捉える視野の狭い考え方だって、この不確実な世界では通用しないだろう。自分を救うための嘘を、客観的な真実よりも深く信じでもしない限り。
それに、誰かに見せるため褒められるためではなく、単にそれが自分を定義するものだから、自分が自分であるために取り組むというのは気持ちが良いものだ。
実力や実績を認められたいという願いは誰の胸にも (多少は) あるだろうが、他者の評価や承認ばかりを追い求めた先には、いずれ心が満たされない空虚が待っている。
ならばただ自分の心が踊るまま、世界で自分ひとりにしか気づかれない微小の成長を、他者から見たらほとんど何もしていないに等しいささやかな一歩を、最も純粋な報いと正確に捉えること。
それがこの泥濘のように不確実な世界を沈まずに歩き続けるための、私たちの足の裏がようやく信じて良い、唯一腐食することのない踏石なのだと思う。
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